Monday, July 8, 2013

それでも信じなければ何も始まらなかったのじゃないかって。イノセントと過ごした日々。

今思えば、何もかも嘘だったのかもしれない。
でもその中に、少しだけでも本当があったことを信じて。

私は彼について、何回もブログに書こうと思った。
イノセント・アキリニマリ・ハレリマーナ。
親友であり、今はその反対側にいるような、でもそれを認めたくないようなそんな彼について。ここしばらく私の中の何かが、それをずっと拒んでいたような気がする。

だけど、なぜだかよくわからないけれど、突然思い立って京都にやってきて
スティーブジョブスも通ったというお寿司屋さんで最高の寿司をたべ、
そして彼も座ったというその席に座って記念撮影をして、ホテルハイアットで山崎の18年もののウイスキーを飲むというアフリカとは正反対の生活をして、そして思った。

何か書かないと、と。
ふっきれた、という訳でもなく、ただ前に進むために、私は書こうと思う。
もう帰ってはこないかもしれない、友人のこと。
ちゃんと、正確に伝えたくて、多分少し長くなってしまうけれど、
お時間のある人は、最後までおつきあいいただけると
私はうれしいです。

イノセントという人は、私がルワンダで出会った人で
今まで一番心を開いて、頼って、頼られた、そういう人だった。

私がここにきたその日に出会って以来、ずっと仲の良い友人だった。
彼は近くの学校の経営するゲストハウスで働いていて、
私の名前をすぐに覚えてくれて、
アフリカ人なのに(笑)私を一回も口説いてこなかった。
(何か勘違いされるかもしれないので断っておくと、ルワンダ人は基本的に
外国人女性に話しかける二言目には「結婚しよう」と言っている気がする)
やたらと短いネクタイがチャームポイントで、いつもニコニコしていた。
村の人は誰でも彼のことをしっていて、みんなから信頼されてるような人だった。
そして、彼はコンゴからやってきた難民だった。

私は彼の実家のある難民キャンプに何度か連れて行ってもらったことがある。
家族にあって、友達を紹介されて、そして、私も何人もの私の友達を紹介して。
そう、私たちはそういう、とてもいい友達だった。

ルイーザビレッジが燃えた頃。私とデオは彼を仮マネージャーとして採用した。
理由は、ゲストハウスで働いた経験が既にあること、英語がしゃべれること、
テキパキと動くイノセントはお客さんに絶対好印象だとおもったこと、
などいろいろあるが、でも一番の理由は、彼が私の一番信頼している人だったから、
なんじゃないかと思う。
彼とだったら燃えたレストランもなんとかできると、素直にそう思えた。

そしてそれは本当にその通りだった。
イノセントはそこに住み込みで働いてくれるようになった。
工事もずっとはやく進むようになったし、
私たちのサービスに対してもとても積極的に意見をくれた。
こちらからなにか提案すれば、すぐに改善してくれたし、
夜遅くまでのこって、私と雑務までこなしてくれた。

そうやって日々が過ぎた。

最初はイノセントに対して半信半疑だったデオも、
気づけば彼をとても信頼するようになっていた。
彼にあいたくて帰ってきてくれるお客さんもいた。

その全部が私は、素直にうれしかったし、そして何より彼と働くのは本当に楽しかった。


少し何か変だなと思ったのは、私の帰国一ヶ月半くらい前のことだったような気がする。

彼のお兄さんがコンゴで殺された、らしい。理由はわからない。
でも、イノセントが精神的にすごくつらそうなのは手に取るようにわかった。

いつもはしないはずのミスが増えて、
今までしなかった遅刻をするようになり、
毎晩眠れないと言っていた。
なにかじっと考え込む姿もよくみるようになった。

でも、私にはどうすることもできなくて、冗談をいって笑わせてみたり、
イノセントと仲良かった今は日本にいるボランティアに電話して話してもらったり、
難民キャンプの家族を訪問してみたり、そんなことしかできなかった。

そんなこんなで、気づけば帰国5日前になっていた。
少しずつだけど、いろいろ引き継いで、
少しずつだけど、形になってきたRwiza Village。
これからはルワンダ人のみんなの手で、なんとかしていけるかな〜というところまで。

そんな時電話がなった。知らない番号から。出てみるとイノセントだった。
「ゆりこ、申し訳ないんだけど、もう、あそこには戻れないから、
君からもらった荷物帰したいんだ。あとごめん、空港に見送りに行けなくなった。
ごめんな。今、コンゴなんだ」
とかなんとか言っている。

「・・・・」
「・・・・・。」

私「ちょっと待って。もうルイーザにかえって来れないってどういうこと?コンゴってどういうこと?」

そして電話が切れた。意味がわからなかった。
デオにいそいで確認する。
「イノセントが1500ドル持って逃げた。彼は泥棒だ」とデオは言う。

え?なにそれ?ただ、ただ混乱する私。

急いでルイーザビレッジに飛んでいく。彼の家に行く。
みんなにあって状況をきく。
イノセントは確かにそこにいなかったし、売り上げの1500ドルも彼と一緒に消えていた。1500ドル、それは彼の一年分の給料だった。

なぜ、こんなことになったんだろう。
一体何があったんだろう?え、そんなことってあるの?

帰りのバスの中、私は彼をまだ信じたい気持ちと、そして裏切られたようなそんな気持ちを同時に抱えて、もうわけがわかんなくなっていた。

彼と出会って2年間、一緒に作り上げてきたものが一気に崩れ去った瞬間だった。


今となっては、彼がなぜそうしたのか、そうしなければならない何かを抱えていたのか、
何がほんとだったのか、どこから偽りだったのか、
もう全部わからない。

ただただ呆然とキガリにいるボランティアの家に帰って、
ベランダにでた。

もうみることもなくなるだろう、キガリの夜景はすごくきれいだったけど、
それをみてたら急に悲しくなって悔しくなって涙が止まらなくなった。

今までは。そう今までは、「あきらめない」という選択ができた。
デオとうまく行かなくても、何していいかわかんなくなっても、
工事がほんと進まなくても、レストランが火事で燃えても。
がんばれなくなることはいっぱいあったけど、
「少しずつでも前に進む」という選択ができたのに。
帰国まであと5日。私に何ができるっていうんだろう。
多分、もうおこらないように対策を考えることくらいしかできなくて。


まさかの帰国5日前、
「貧困」とはこういうことだと、私は最後に思い知らされたような気がする。

何を抱えていたにせよ、
今までの関係も、これからの関係も、私たちの気持ちも
無にして一瞬の大金に手をだしてしまう
その想像力の欠如、とか、
もしかしたらお兄さんを殺された彼の抱えていたどうしようもない問題の奥深さ、とか、
そういうものが「貧困」ってやつだ、と。

自分の力不足が悔しくて悲しくて。


私がルイーザビレッジに関わった最後の瞬間が、これで終わってしまうのは
なんだかとても残念だけど、
でも、この「貧困」ってやつとは、もっともっと向き合っていきたい、と
帰国してから私はよく考える。

今回できなかったことを次に、またこのフィールドに帰ってくる時にはちゃんと
できるように。
次はイノセントのような人の力に、本当の意味でなれるように。

いったん日本には帰るけど、私はまだここで終わるわけにはいかないんだなと、
思い知らされたからこそ。


最後に。
私がここにこれを書くのは、別に、彼に対する恨みつらみを書きたかったわけでもなく、
私がここにこれを書くのは、別に、それで同情してほしいからでもなく、
これはある意味、決意なんです。

それでも前に進みますよ、と。
いつかまた、このフィールドに成長して帰ってきますよ、と。

信じたから失ったけど、信じなければ何も始まらなかった。

だからこれからも、人を信じることを選びますよ、と。