Saturday, January 25, 2014

スタートラインからみえる景色

今会社が5連休で、こういうときになると、無駄にブログを更新してしまうな、なんて思いながらもこうやって更新している訳だけれども、

こうやって暇ができると、ものをじっくり考える隙間だとか、
生き方を見つめ直す隙間だとか、

いつもいっぱいいっぱいの心の中にふぅっと、隙間風がが入り込んできて、
普段考えていても言葉にしてないことを、書きたくなって
それで書いてしまうのかな、なんて思ったりしている。

話は変わるけど(かなり大々的に変わるけれどもw)
今、私の知り合いでカンボジアにいっている人がいて。

私の知り合いのカンボジアにいっている人、とかいったら
NPOだとか協力隊だとか、カンボジアでビジネスしてる人だとか
そんなようなのがでてきそうだけど、
そういうのじゃなくて、うん、旅行で。

その人が旅行で一週間カンボジアにいっていて、
その話を、ちょいちょい聞いていたら、
ああ、いいなぁって思った。

なんというか、その昔をふと思い出して。

私の初アジア旅行はフィリピンだった。
空港からタクシーにのって、
マニラの喧噪の中をくぐり抜けて。
立ち並ぶ雑居ビルに高層マンション。そのすぐ下にはホームレス。

そしたら、おばぁさんに物乞いをされて。
おばぁさんは今にも死にそうな子供抱えて、
ずっと私のタクシーをノックしてくるんだよね。

それで私なんだかこわくなっちゃって、タクシーの運転手さんに
早く行ってってお願いして逃げるようにその場を離れた。

ああ、かわいそうって思ったよな、あのときは、さすがに。

だけど、今見たらどうなんだろう。
あの子供、レンタルチャイルドでしょ?とか
お金もらうためにどっかから借りてきてるんでしょとか
余分な知識がふっと浮かんで
きっとさほど感情移入もすることなく
あっちいってって態度とっちゃうんじゃないかなんて、
なんだか不安になったよ。
レンタルだろうとなんだろうと、目の前にあるのは命だってことに変わりないのにね。
そして私のもってる100円で、もしかしたら、もしかしたらだよ、
その子が助かったりするのかもしれない。しないのかもしれない、あるいは。

「かわいそう」とか思う事が正解じゃないんだ。
なんだか上からで、嫌悪感すら感じたりする。私はね。
だけどそういう生々しい感情は、「そのとき」しか味わえないんだよね。

知識とか経験が積まれたあとじゃみえないもの、最初しかみえないもの、
そういうのあるよなぁって。どこの世界でも。

久しぶりに、彼のおかげでそんなこと思い出して、
今いる私のステージで、私はまだその「最初」にいるんだってことも再確認して、
今感じてる事、未熟な中でも思ってる事、そういうの案外大事かもなって
再認識したよって話。

まぁとにもかくにも、無事に帰ってきてくれるといいんですけど。
喧噪の町の中に、きらりと輝く光をみつけて帰ってきてね。

明日はそれでもやってくる。はずだ。

もう消えちゃったけど、いつかの「ほぼ日」に糸井さんが、
明日はある、って話を書いてた。

今日が人生最後って気持ちで、頑張るっていう美徳は否定しないけれど、
でも大抵の場合、明日はちゃんとあって、何か挑戦する際の失敗したときのリスクヘッジだってちゃんと準備されてて、やりなおしだってできて、って。だから今日を明日に積み重ねたっていいんじゃないのかなぁって。そんなような内容だった。

その通りだなって思った。

いや、今日が人生最後の一日かもしれないって思って
それで君はほんとに後悔しないのか?って毎日答えを問いながら生きていく、
そういうスティーブジョブスのような生き方は素敵だし
そして、私はそんな言葉に勇気をもらって、そんな言葉を自分に問いかけたりもして、
今まで生きてきた訳だけど。

だけど。そう、今までずっと、明日はやってきたじゃないかってふと思った。

もしかしたら、もしかしたらね、
明日死ぬかもしれない。
だけど、それは、本当に私の人生の最後の瞬間にしかおこらない訳で。
起こったら、起こったときにはもう死んでて後悔もなにもない訳でw

実際には、明日がやってくる確率の方が遥かに高いんだよなって。

だから今日、挑戦できなかったとして、後悔して、
今日、頑張れなかったとして後悔して、
今日、うまく出来なかったから後悔したとして、
それでもやってくる明日に、今日を重ねて、

「あぁー今日の私最悪だな、まぁ明日があるさ」
っていってみるのも、わるくないな、なんて。

できれば、そりゃ、今死んでも後悔しない毎日を生きていたいとは思うけどね。
たまにはいいと思うんだ、それでも。

今日を明日に積み重ねる。素敵な言葉だなぁ。糸井さんさすがだなぁ。