Wednesday, November 16, 2011

魔の11月

あれからもう一年もたったんだなぁ。
最近そんなことをふと思う。

その「あれから」ってのは、そう、ちょうど去年の11月。
私が「魔の11月」と呼んだ月。

去年の今頃、私はその時付き合ってた彼氏と別れた。
結構ショックで、立ち直れなくて、
大阪に行った。

大阪では「協力隊に行く」と言ったら、
NGOのおっちゃんから「死ね」と7回どなられた。
わけもわからず、

なんで、こんな時に、こんなこといわれなきゃなんないの!って
泣き叫んだ。

大阪から帰ったら、親から電話がかかってきて、
「パパはなにがあってもあなたのパパだから」
と言って電話を切られた。

心配して静岡の実家に帰って、両親の間に入って、
そして無事解決した。(しかも結構たわいもない喧嘩だった。)

そんなことを言ってるうちに、卒論の提出期限が迫ってきていて、
必死で書いた。

その他にも立ち上げなおしたサークルの代表やらなにやらで、やけに忙しかった。

そしてついに39度の熱をだして、ぶっ倒れた。

いつも怖いゼミの教授が、疲れ切った私をみて、この時だけは一度も怒鳴らなかった。


そんな私の一生忘れない魔の11月。

それからもう1年。

あの時はもう、泣いて、泣いて、なんかわけわかんなくなってたけど、

そんとき、私の大切な人達がいつもそばにいてくれた。


誰かは、「運が良かったな」といって笑いながらはげまし、

会社までやすんでずっとそばにいてくれた。

誰かは失恋旅行で大阪に行った私を心配して追っかけてきてはげましてくれた。

誰かは夜の公園で話をずっときいてくれた。

誰かは私に写真を撮ることを教えてくれて、世界がずっと違って見えるようになった。

誰かは遊園地のジェットコースターの上で一緒に叫んでくれた。

誰かは協力隊の訓練中にも関わらず、電話でずっと話を聞いてくれた。

依然と変わらないでうけいれてくれてたシェアハウスの仲間がいた。

卒論だってたくさん、たくさん、助けてもらった。

家のご飯がいつもの3倍おいしかった。

無理しなくていいよの声が本当にあったかかった。

誰かの作ってくれた野菜炒めが、死ぬほどおいしかった。


「魔の11月」だったはずなのに、同じくらいの、いやそれ以上の「幸せ」をもらった11月。

あれから一年。

いまだからこそ言える、支えてくれたみんなに、

私をふったその人に、死ねと叫んだおっちゃんに、

卒論にも、喧嘩してた両親にも、

心からのありがとう。


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