Thursday, December 26, 2013

新しい仕事

ルワンダではさんざん更新されていたこのブログ。

最近ではめっきり書くことも少なくなりました。

その後、どうなったのか?

語り尽くせば長い話ですが、

とりあえず、まずは近況報告から。

今私は、とある軽井沢の旅館で働いております。

2月には京都の旅館に配属予定です。



ルワンダで、ホテルを作って、できなかったこと、いっぱいありました。


とりあえず、日本に帰ってきて、

自分に足りないものを埋めて、もう一度途上国というフィールドにたちたい、

そう思って、この職業を選びました。


おもてなしで世界を変える、できるかわからないけど、

ルワンダでできなかったことを、できる、に変えて

いつかまた新しい舞台で、恩返しできるように、

ひとまずは修行です。


今までの私とは全く違う環境で

今はまだ戸惑ったり、悔しい思いをしたり、いろいろですが、

とりあえず目の前のことを一個でも多く吸収して

前に進みたい。絶対戻りたい。

また、途上国でいいものを本気でつくりたい。


そんな風に思っています。




Wednesday, September 18, 2013

このブログのタイトル恥ずかしいわ。今更だけどさ。

C'est la vie.
絶対に夢をあきらめない。私のブログ。

ってタイトルさ、恥ずかしいよね。中二病みたいで。

ってふと思って、吹き出した。


特に後半の日本語のあたりがさ。若いよ。若い。

なんていうかさ、青臭いよ。

気付いてるんですよ。そんなことは。
毎回アップするたびに、多少、恥ずかしいな。っていう葛藤があるんですよ。これでも。

じゃぁ変えればいいじゃないかって話なんだけど、
変えたくないんだよねぇ。
これはさ、3年前の私が、まだ青臭い頃の私が
夢とか語っちゃう頃の私が、
行く道もよくわからなくてひたすら不安だった頃の私が、
精一杯の背伸びをして、
精一杯強がって、
紡ぎ出した言葉なんだよね。

C'est la vie.  (  This is life. )
絶対に夢を諦めない。私のブログ。

あまりにも、まっすぐで、あまりにも暑苦しくて
今みると笑っちゃう。

だけどね、どきっとする。
この時のこの言葉に恥じないように生きてるかなって書くたびに考える。
だからずっとこれでいいんだと思うんだよね。

40歳になっても、50歳になっても、100歳になっても
このタイトルで。そうこうしてるうちに、
これが私の生き方になってくれればいいなと思う。

久しぶりにルワンダに向かう飛行機にて。
多分私のこれからをじっくり考えることになるこの旅の最初に、
久しぶりにブログを読んでちょっと恥ずかしくなったけれど、

私はこれからも、ずっとこの恥ずかしいタイトルでやっていこうと思います。



























Monday, July 8, 2013

それでも信じなければ何も始まらなかったのじゃないかって。イノセントと過ごした日々。

今思えば、何もかも嘘だったのかもしれない。
でもその中に、少しだけでも本当があったことを信じて。

私は彼について、何回もブログに書こうと思った。
イノセント・アキリニマリ・ハレリマーナ。
親友であり、今はその反対側にいるような、でもそれを認めたくないようなそんな彼について。ここしばらく私の中の何かが、それをずっと拒んでいたような気がする。

だけど、なぜだかよくわからないけれど、突然思い立って京都にやってきて
スティーブジョブスも通ったというお寿司屋さんで最高の寿司をたべ、
そして彼も座ったというその席に座って記念撮影をして、ホテルハイアットで山崎の18年もののウイスキーを飲むというアフリカとは正反対の生活をして、そして思った。

何か書かないと、と。
ふっきれた、という訳でもなく、ただ前に進むために、私は書こうと思う。
もう帰ってはこないかもしれない、友人のこと。
ちゃんと、正確に伝えたくて、多分少し長くなってしまうけれど、
お時間のある人は、最後までおつきあいいただけると
私はうれしいです。

イノセントという人は、私がルワンダで出会った人で
今まで一番心を開いて、頼って、頼られた、そういう人だった。

私がここにきたその日に出会って以来、ずっと仲の良い友人だった。
彼は近くの学校の経営するゲストハウスで働いていて、
私の名前をすぐに覚えてくれて、
アフリカ人なのに(笑)私を一回も口説いてこなかった。
(何か勘違いされるかもしれないので断っておくと、ルワンダ人は基本的に
外国人女性に話しかける二言目には「結婚しよう」と言っている気がする)
やたらと短いネクタイがチャームポイントで、いつもニコニコしていた。
村の人は誰でも彼のことをしっていて、みんなから信頼されてるような人だった。
そして、彼はコンゴからやってきた難民だった。

私は彼の実家のある難民キャンプに何度か連れて行ってもらったことがある。
家族にあって、友達を紹介されて、そして、私も何人もの私の友達を紹介して。
そう、私たちはそういう、とてもいい友達だった。

ルイーザビレッジが燃えた頃。私とデオは彼を仮マネージャーとして採用した。
理由は、ゲストハウスで働いた経験が既にあること、英語がしゃべれること、
テキパキと動くイノセントはお客さんに絶対好印象だとおもったこと、
などいろいろあるが、でも一番の理由は、彼が私の一番信頼している人だったから、
なんじゃないかと思う。
彼とだったら燃えたレストランもなんとかできると、素直にそう思えた。

そしてそれは本当にその通りだった。
イノセントはそこに住み込みで働いてくれるようになった。
工事もずっとはやく進むようになったし、
私たちのサービスに対してもとても積極的に意見をくれた。
こちらからなにか提案すれば、すぐに改善してくれたし、
夜遅くまでのこって、私と雑務までこなしてくれた。

そうやって日々が過ぎた。

最初はイノセントに対して半信半疑だったデオも、
気づけば彼をとても信頼するようになっていた。
彼にあいたくて帰ってきてくれるお客さんもいた。

その全部が私は、素直にうれしかったし、そして何より彼と働くのは本当に楽しかった。


少し何か変だなと思ったのは、私の帰国一ヶ月半くらい前のことだったような気がする。

彼のお兄さんがコンゴで殺された、らしい。理由はわからない。
でも、イノセントが精神的にすごくつらそうなのは手に取るようにわかった。

いつもはしないはずのミスが増えて、
今までしなかった遅刻をするようになり、
毎晩眠れないと言っていた。
なにかじっと考え込む姿もよくみるようになった。

でも、私にはどうすることもできなくて、冗談をいって笑わせてみたり、
イノセントと仲良かった今は日本にいるボランティアに電話して話してもらったり、
難民キャンプの家族を訪問してみたり、そんなことしかできなかった。

そんなこんなで、気づけば帰国5日前になっていた。
少しずつだけど、いろいろ引き継いで、
少しずつだけど、形になってきたRwiza Village。
これからはルワンダ人のみんなの手で、なんとかしていけるかな〜というところまで。

そんな時電話がなった。知らない番号から。出てみるとイノセントだった。
「ゆりこ、申し訳ないんだけど、もう、あそこには戻れないから、
君からもらった荷物帰したいんだ。あとごめん、空港に見送りに行けなくなった。
ごめんな。今、コンゴなんだ」
とかなんとか言っている。

「・・・・」
「・・・・・。」

私「ちょっと待って。もうルイーザにかえって来れないってどういうこと?コンゴってどういうこと?」

そして電話が切れた。意味がわからなかった。
デオにいそいで確認する。
「イノセントが1500ドル持って逃げた。彼は泥棒だ」とデオは言う。

え?なにそれ?ただ、ただ混乱する私。

急いでルイーザビレッジに飛んでいく。彼の家に行く。
みんなにあって状況をきく。
イノセントは確かにそこにいなかったし、売り上げの1500ドルも彼と一緒に消えていた。1500ドル、それは彼の一年分の給料だった。

なぜ、こんなことになったんだろう。
一体何があったんだろう?え、そんなことってあるの?

帰りのバスの中、私は彼をまだ信じたい気持ちと、そして裏切られたようなそんな気持ちを同時に抱えて、もうわけがわかんなくなっていた。

彼と出会って2年間、一緒に作り上げてきたものが一気に崩れ去った瞬間だった。


今となっては、彼がなぜそうしたのか、そうしなければならない何かを抱えていたのか、
何がほんとだったのか、どこから偽りだったのか、
もう全部わからない。

ただただ呆然とキガリにいるボランティアの家に帰って、
ベランダにでた。

もうみることもなくなるだろう、キガリの夜景はすごくきれいだったけど、
それをみてたら急に悲しくなって悔しくなって涙が止まらなくなった。

今までは。そう今までは、「あきらめない」という選択ができた。
デオとうまく行かなくても、何していいかわかんなくなっても、
工事がほんと進まなくても、レストランが火事で燃えても。
がんばれなくなることはいっぱいあったけど、
「少しずつでも前に進む」という選択ができたのに。
帰国まであと5日。私に何ができるっていうんだろう。
多分、もうおこらないように対策を考えることくらいしかできなくて。


まさかの帰国5日前、
「貧困」とはこういうことだと、私は最後に思い知らされたような気がする。

何を抱えていたにせよ、
今までの関係も、これからの関係も、私たちの気持ちも
無にして一瞬の大金に手をだしてしまう
その想像力の欠如、とか、
もしかしたらお兄さんを殺された彼の抱えていたどうしようもない問題の奥深さ、とか、
そういうものが「貧困」ってやつだ、と。

自分の力不足が悔しくて悲しくて。


私がルイーザビレッジに関わった最後の瞬間が、これで終わってしまうのは
なんだかとても残念だけど、
でも、この「貧困」ってやつとは、もっともっと向き合っていきたい、と
帰国してから私はよく考える。

今回できなかったことを次に、またこのフィールドに帰ってくる時にはちゃんと
できるように。
次はイノセントのような人の力に、本当の意味でなれるように。

いったん日本には帰るけど、私はまだここで終わるわけにはいかないんだなと、
思い知らされたからこそ。


最後に。
私がここにこれを書くのは、別に、彼に対する恨みつらみを書きたかったわけでもなく、
私がここにこれを書くのは、別に、それで同情してほしいからでもなく、
これはある意味、決意なんです。

それでも前に進みますよ、と。
いつかまた、このフィールドに成長して帰ってきますよ、と。

信じたから失ったけど、信じなければ何も始まらなかった。

だからこれからも、人を信じることを選びますよ、と。




Friday, April 5, 2013

あと二ヶ月。

家の近くのバーで、騒ぐルワンダ人を見つめながら一人で飲むビールにもだいぶ慣れた。

最初はさみしいと思っていた。

だけど、今は多分これは最高の贅沢なんだと思うようになった。


私のルワンダ滞在も、残り二ヶ月。

泣いても笑っても2ヶ月なんだと思う。


何が残せるだろう?

何を学べるだろう?


2年前と比べて、私は何か成長したんだろうか?

そんなことを考えながら今日も一人でビールを飲む。


日本に帰ったら、どうしても会いたい人がいる。

毎回帰るたびに実は忙しい中、時間を作ってあってもらってる。

その人にはきっとすぐ、私の小さなハッタリなんて見破られてしまうだろうから。

はったらなくてもいい自分に。ならないとね。


残り二ヶ月。

今日もビールがおいしい。




Friday, February 8, 2013

ケーザはここのものだから。

私には現地の言葉で名前があって、「ケーザ」とよばれている。
ルワンダでは日本人の名前は覚えにくいから、
じゃぁ、お前ケーザな!って感じで、ある日突然、学校の生徒たちから
もらった名前。意味は、はずかしいから、いわないけれど。

そう、
この前、大量の物をRwiza Villageのために購入する機会があった。
私の村じゃそろわないものばかりなわけで、当然、首都キガリで。
あまりにも荷物が多くなると思ったので、その日はドライバーさんをやとって、
一緒に買い物に行ったんだ。

山ほどの荷物を積んで、キブイエに到着したのは午後4時頃。
Rwiza Villageには何人かの地元の職人さんが残っていて、
せっせとランプシェードなんかをつくってくれていた。

荷物を全部運び込んで、
ドライバーさんが
「じゃぁ僕はキガリに帰るね」
と声をかけた。

すると、大工さん。
「ケーザもキガリに行くのか?」
「ケーザはここに置いてけよ。ケーザはここのものなんだから」


と言ったらしい。

私にはそんな現地語はわからないけれど、
そのドライバーさんがこっそりあとで教えてくれた。

嬉しかったなぁ。うん。嬉しかった。

私は最初他人だったはずなんだ。2年前。
でも、今、ちゃんとここのものだって言ってもらえた。

まぁそれだけの話なんだけど、
なんだかすごく覚えておきたかったから、
ブログを書きました。

気をつけてないと忘れちゃうんだよね。
どんな感動も、どんな感情も、人間ってさ。



Tuesday, February 5, 2013

ドラクエ的ルワンダ生活


みなさん、ドラクエってやったことありますか?
結構な人数な方がやったことあるんじゃないかなぁ、、なんて思っています。
ご存知だとは思いますが、勇者がいて、色んな所を冒険して、仲間をふやしていく、そういうゲームですよね。(こんなん↓)
この前仕事をしていて、ふと、このゲームのことを思い出しました。
あれ?私のルワンダでの生活、まるでドラクエのようじゃないか?って笑。

ごめんなさい、ふざけているわけではないのです。

はじめて、私の村にやってきた時、私はたった1人でした。

それこそ、どこで何を売ってるのか、
ってゆうか皆、何をしゃべっているのか、
ご飯は何で作るのか(炭?コンロ?何?)
誰に何をきけばいいのか、
全然!いやもう、ほんとに全然、わからなかった訳です。

あまりにも言葉が通じないので、
持ってきていた小さな黒板を手に、
絵を書きながら村中を歩き、
必死の思いで買い物をしたあの日の事を、私は今でもよく覚えています。
(その時はコンロが欲しかったのに、車が欲しいと勘違いされ、
自分の絵のセンスを疑いましたが)

たった1人じゃなんにもできなかったんです。

でもそうやって、村の人に、片っ端から話しかけて行くうちに、
みんなが色んなことを教えてくれます。
それこそ、なんていうか、
ドラクエで、ある村に到着して、
物語りを進めるために、村人に話しかける、みたいに。
そうすると、あっちいけだの、こっちいけだの、
もう一回で教えてくれれば良いのに、みたいな展開になるわけですが、
一個一個しかすすめないんですよね、ドラクエでは。

ルワンダでも、色んな人が色んなことを、教えてくれます。
たいてい結構みんな適当なので、
その通りに進む事なんてことはなくて、
それこそ、コンロ一個買うために、村中を一日歩きまわることになります。
そうやって、コンロを手に入れた時の喜びと言ったら。。。。
嬉しくてにやにやしてしまうわけです。

もうひとつ、ドラクエといえば、仲間、だと思います。
物語の途中、色んな人やモンスターが仲間になってくれるんですよね。
だから自分も強くなる。
私がドラクエが好きなのは、
主人公だけじゃなくて、仲間が、画面にちゃんと表示されることなんです。
自分のキャラの後ろを仲間がついてくるんですね笑。

こっちでもそんな感じです。
仲間になったルワンダ人がいて、
その人ごとに高い能力があって、
ある人は、英語ができるとか、
ある人は、村のことを良く知っているとか、
ある人は、ものが作れるとか、
そんな仲間に助けてもらいながら今があります。

そうやって、Rwiza Villageが前にすすんできて
これからも進んでいくわけです。

ドラクエの回復アイテムといえば、アモールの水。
アモールの水はこっちにはないけど、
今日もそうやって、アモールの水のようなコーラを飲みながら、
愉快な仲間達と村中歩き回っています。

Monday, January 21, 2013

振り向けばいつもみんながいる。

おそらく、私は今この空港の中で一番動揺している。

 そして、それを全く隠しきれていない。 

乗り換えの飛行機を待つオランダ、アムステルダム。 
ここからのりかえてケニア経由でルワンダへ。 
10時間ぶりのインターネット。

 私はドキドキするような、なんだか少し怖いような気持ちを抱えて 
Ready for のページを開いた。 

体調の悪い祖父のお見舞いでたった3日の一時帰国をしていた私は、
 今日アフリカに帰る。
日本を去る直前、 成田空港で、
そっとFacebookにreadyforのことを書き込んだのだった。 

10時間のフライトを経て到着したのは乗り換えの地、アムステルダム。 

どんなかんじだろう?

 誰も私の投稿に気付いてなくて、まだ0パーセントのままだったら。。。。
なんて思うと少し怖かった。

正直びくびくしながら、ネットを開いた。 



達成率99パーセント



 ふーん、99パーセントね。



 へー。 



ん? 



え!? 




ええええええええええええええええええええ!!!??? 




そこには私の信じられない光景が広がっていた。 

そして、次のクリックで私はもっとすごいものを見ることになった。 

達成率100パーセント。 

私のプロジェクトの目標金額が成立した瞬間だった。 


一体何が起こったんだ? そう思って見てみると、
そこには沢山の名前とメッセージがあった。 

仲の良い友達たち、高校の同級生、後輩、先輩、先生。
 まだ直接お会いしたことのない方の名前もたくさんあった。

 思わず、私の手は震えていて、 じんわり目には汗をかいていた。 



と、前置きがながくなってしまいましたが、
 私がお伝えしたいのは、つまり、 ありがとう です。 

そして、ルワンダに帰国した直後、
 私が初めてパートナーDeoに伝えなくてはならないことは 皆様のことです。

 Ready for を公開して、 一番最初に書く投稿が、
お礼になるとは 私は全く予想していませんでした。 

そして同時に知りました。 私は、一人ではないのですね。 

振り向けば皆がいて、みんながRwiza Villageを応援して支えてくれていたのですね。

 そして、期待して私に夢を託して下さったのですね。

 ルワンダなんて、
日本から見たらどこ?って感じの遠い、遠い国に想いをはせて、くれているんですね。

 頑張ろう、と思いました。 

言葉にすると、薄っぺらく聞こえますが、 頑張ろう、と。


 弱音なんてはいている場合じゃないです。 頑張ります。 ご支援頂いた皆様、本当にありがとうございました。 引き続き、どうぞよろしくお願いします。
https://readyfor.jp/projects/Rwiz_Village

Friday, January 11, 2013

パートナーとの関係その2

パートナーと上手くやれない事件から2週間。

昨日は決戦のミーティングでした。


結果から言うと、やって本当によかった。

お互い言いたい事や疑問や問題をぶつけあってみて思ったけど

私たちの進歩は少しずつで、

工事もなっかなか終わんないし、(ってゆーかさぼるし)

全部が手探りで無駄が非常に多いと思う。


だけど、そうやって、お互い修正しながら

前に前にすすんでいくしかないんだよね。


少し反省した事といえば、

日本ではこうなるのになんでそういかないの?

って思ってしまっていた事。

ある程度理想を持つ事は大事だけど、

ここはアフリカで、

私の常識なんて常識でもなんでもなくって、

思ってるようにすすむはずなんてない。

私のあたりまえ、という軸で考えてちゃ

そりゃうまく行かないな。


妥協するのとは違う。

だけどそこと上手く折り合いつけて

やれることをやっていく

それがアフリカでゲストハウスを作るってことなんだなぁ、と。

少し押し付けていた自分に反省しました。


さて、今週末は私用で一時帰国です。

といっても6日間。約2日の日本滞在。

そしてまたアフリカへ。


なんというか、馬鹿みたいだけど、

馬鹿みたいなことでも、それ以上の価値があることっていうのは

あるものなんですね。

また詳しく書きますが、

せっかく帰国の許可を頂いたので、

今は自分にできるだけのことを

自分にできるだけの力で

精一杯、まっすぐに、してこようと思います。