Saturday, December 29, 2012

パートナーと上手くやれない。

いつもは、なんというか結構抽象的な感じで、ゆるりとブログを書いているんだけれども、
今日はちょっと、殺伐としてしまうかもしれない。

思っている事をありったけかいてしまうかもしれない。

先にいっときます。読んでくれてるみなさん、暗くてごめんなさい!


最近、パートナーとの関係がすごく良くないと思う。
なんというか、自分も信頼されていないのも感じるし、私も信頼してない。


それもこれも、いろんな原因やきっかけがあると思うんだけど、

突き詰めると結局、私の責任なんじゃないかって思う。

私の「甘さ」、これが原因なんだと思う。


私自身、今までわからないなりに、あがいてきたつもりではある。
できないこともいっぱいあるし、できたことも少しはある。

でも、そんなのどうでもいい。

そんなの全然伝わってないし、
相手のせいにもできない。

私が甘いんだ。

もっとできる。

そういつもどっかで思いながら、毎日をすごしてない?

そんな自分にイライラしながら、毎日生きてない?

今の私は、この質問に正直に答えられない。

逃げたくなる。


本当に腹が立つ。

理不尽だなとか、思う気持ちだってあるけど

その何倍も自分に腹が立つ。


なんとかしなくちゃ。変わらなくちゃ。

方法なんてわかんないけど、前に進む。


だってそれしかできないんだから。













Wednesday, December 5, 2012

リメンバー11月

去年の今頃のことを思い出す。

去年の今頃、私はRwiza Villageの今はもう燃えてしまったレストランの
デッキに手をかけて大きくため息をついて、おっきな湖をみつめていた。

叫びだしたい気分だった。「これからどうすればいいか、わからない。」

そして、おもむろに、そこで草むしりをしているおっちゃんに話しかけた。

「私にもやらせて」

1時間、2時間と時間が過ぎて行く。草をずっとむしっていく。
ただただ無心で。

そんな日が続いた。
この先何から手をつけていいのかわからないのは、
すごく不安だったし、だからといって何もやらないのも不安だった。

だから目の前に、本当に目の前にあることから始めた。

そんな時からちょうど一年。

私にとって11月は、いつだって、そんな時期だ。

一昨年は失恋旅行先で、どっかのおっちゃんに「死ね」と大声で怒鳴られていた。
去年は、何していいかわかんなくて、草むしりして、一人で寂しくて泣いていた。

11月の私は、いつもどこか不安定で、
11月の私は、ちょっと暗い。
11月の私は、自分なんてサイテーだって、思ってる。
11月の私は、それをぜんぶ11月のせいにする。

今年もそう。
最近、あんまりうまく行かない。
うまく走れない。

それを周りのせいにして、逃げてる自分なんてほんと嫌い。

だけど11月は、いつも、振り返ったときに大切なことを私に教えてくれる月。
失恋旅行も、草むしりも、流した涙も、あとから考えると宝物。

どうか今回も、そんな月にできますように。



Wednesday, November 28, 2012

壊せるもの、壊せないもの。

iPad が壊れた。
というか落ちて画面が割れた。

実は協力隊には協力隊用に保険があって、
こういう現地で起こったアクシデントをカバーしてくれる。
とっても助かる。

壊したものが、モノで良かった。

モノは保険で何とかなるけど、
例えば心は保険じゃカバーできないからさ。
人の心にかける保険はないからね。

本当に大事なもの程、お金じゃ買えない。

だから、心は落としちゃいけないし
だから、心は壊しちゃいけない。


どんなに、暗闇で何も見えなかったからってね、
床にたたきつけちゃだめだよ、
iPadみたいにさ。

Thursday, October 25, 2012

このブログ

このブログ、かっこよくもなんともないし、

あんまり機能的でもないし、

内容もばらばらだし、

なんか、ちゃっちい感じだし、

だけどね、私大好きなの。

絶対かえようと思わないの。

もし可能なら、おばぁちゃんになるその時まで、

このブログに書き続けられたらって思う。


それってね、「愛」だと思うの。

このブログは、私の大切な友人が、私に作ってくれたもので、

選んでくれたデザインで、

まだ、誰もこのブログの存在をしらなかったあの日から、

ここにこっそり打ち明けた思いがあって。

だから私はこのブログは、私にとって一番なの。



完璧じゃなくたっていいから、完全じゃなくったっていいから、

これからもそんな風に、あなたも私のそばにいてほしいな。






Monday, October 22, 2012

うそをつく。

















自分に嘘をつくってのは、

あんまりよくないことかもね。

なんだか疲れちゃうよね。

ほんとは疲れないように、

傷つかないように、

自分に嘘をつくのにね。

それで返ってつかれるくらいなら、

そんなのやめればいいのにね。

やめれたらいいのにね。




Sunday, October 14, 2012

24歳最後の夜。届かない想いはブログにのせて。

世の中にすごい人はたくさんいるし、
頭のいい人も、才能に溢れた人も、
かっこいい人も可愛い人もたくさんいる。

すごいなぁ。。いいなぁ。。私もああなりたいなぁって、
一番考えた一年だったと思う。

壁にぶつかる度につらくなったりもしたけれど、
とにかく、それでも私が私でいれたのは、
私が私でいたいと思えたのは、
あなたのおかげ。

ありがとう。

2012年10月13日。24歳最後の夜に思うこと。






Tuesday, October 9, 2012

レストランが燃えた3

次の日、私は意外にもすっきりと目覚めた。
起きた瞬間思った。

なんだ、燃えたのは建物だけじゃないか。って。

なんというか、昨日はあんなにないておいて、
こんなに急にあっけらかんとしている自分に若干の動揺はしたけど、
それでも、なんだか、この考えがすごくしっくりきた。

だって、そうなのだ。

燃えたのは建物だけ。なくしたのも建物だけ。

私はレストランが燃えていたあの瞬間、
今まで自分が頑張ったこと、とか、
今までdeoが頑張ったこと、とか、
全部、全部なくなってしまったような気になったのだけど。

でも、建物意外、私たちは何もなくしてなんていなかった。

皆で考えたメニューも、
働いてくれる仲間も、
ゲストハウスの部分の建物も、
美しい景色も、
大事な想いも、
deoも私自身も。
返さなければならないローンまでも残っている。


そう、 問題になっているのは二つ。

「レストランの建物が黒焦げになって崩壊した」
「それによって資金がピンチ」

ただそれだけなのだ。

そう思ったらなんだか急に、やれる気がしてきた。
問題がわかれば、きっと解決できる。


多分、こんな気持ちになれたのには理由がある。

私を心配して電話をくれた人たちがいた。
私の周りの大切な人たちが、私のことをすごく気にかけてくれていた。

Facebookにいろんな人が頑張れって書き込みをくれた。

メールをくれた人がいて、同期の協力隊が、一緒に飲もうっていってくれた。

全部が本当に温かかった。感謝してもしきれない。
応援してくれる人のために強くなろうと思った。
強くなくちゃ、なにも守れない。
皆の気持ちも、私の夢も、大切な人も、これからのrwizaも。

そして、もうひとつ、私を変えたのはルワンダ人たちの言葉だった。

現場で大声で泣き叫んだ日本人、として、私はちょっとした有名人になっていた。

昔はものごいしてきた子供が、
なぜか、今日からものごいしなくなった。
代わりに私のそばによってきて、そっと抱きしめてくれるようになった。

おばちゃんが、辛いかもしれないけど耐えるんだよって、
私の背中をパシンと叩いた。

ネイサンや他の働いてくれるメンバーが、
燃えてもなお、その場所をみて、
なんて素敵な場所なんだ、と楽しそうに話してくれた。
trust me. I would do anything for you guys
と去り際に握手をかわした。

deoが、やるぞって言った。


ほらね、燃え去ったのは建物だけ。

それ以外の何でもない。

確かにこれからちょっと大変になるかもしれない。
でも、私たちにとって一番大切なものは燃えてない。

Keep walking. 私のすごく尊敬してる山口絵里子さんの言葉。

歩いて行きたい。この手の中に、それをぎゅっと握りしめて。
ゆっくりゆっくり、とは言わず、
今回ばかりは、できれば駆け足くらいで。

前だけをしっかりみつめて、歩いてければいいなと思う。



Saturday, October 6, 2012

レストランが燃えた日2

そう、それから数時間は泣くことしかできなかった。
でも、数時間して、ふと思った。

一番悲しいのはきっと、私じゃない。
パートナーのdeoなんじゃないかって。

そしたら、急に自分が泣いている場合ではないことに気がついた。
彼のrwizaに対する気持ちは、私がこの世界で一番知ってる。
一緒につくってきたからこそ、今私が彼のそばにいなくちゃならない。

だから顔をあげて、彼に会いに行くことにした。
もうすぐキガリから現場に到着するはずだ。

そこにいた彼は疲れきった表情だった。

大丈夫?

ああ、大丈夫。きみは?

と言葉をかわす。
でも、絶対大丈夫じゃない。

それから私たちは警察にいって、手続きをして、
それで、一緒にご飯を食べることにした。

正直、自分も大丈夫からはかけ離れた状態だったとはおもうけど、
とにかく彼を励ますことが先決だった。

泣きそうなのをこらえて笑っていう。お疲れ様、大変な一日だったね。

deoもいう。お疲れ様、君も大変な一日だったね。

そして長い沈黙。

ねぇ、deo、私すごく悲しいし悔しいんだけど、まだ諦めたくないんだ。

ゆっくり話し出す。

彼もいう。

僕も諦めるわけにはいかないよ。って。
ここまで、やっとここまできたんだから。

よし、じゃぁやろう。落ち込んでいる時間はない。決まりっ。

こうして私達の静かな食事は終わった。


帰り際にdeoが言ってくれた。

「こんなに悲しいことが起こっても、
君といるとなんだか笑えてしまう。また頑張れる気がする。」

帰り道ずっとずっと、心の中で繰り返す。


なんだか知らないけど、ありがとうって思った。

私を必要としてくれて。

ありがとう、頑張るって。

正直、なんのためのレストランかとか、なんでレストランか、とか
もうそんなのどうでもいいと思った。

とにかくたてなおす。とにかく絶対オープンさせる。

それしかできない。

後ろには下がれない。そこにとどまっていても辛い。

道は前にしか伸びてない。

じゃぁ進むしかないじゃないかって。


それから私は泣いてない。一度も。

もう泣かない。そして絶対あきらめない。






Thursday, October 4, 2012

レストランが燃えた日。

少し時間がたって、自分にもようやく余裕がでてきたので、
ここ最近起こったことを、記録に残しておこうと思う。

9月27日。私はきっとこの日のことを一生忘れない。

この日はネイサンというルワンダ人の学生と、
レストランを見にきていた。
彼はここのウェイターになる人間で、ここ最近ずっと、
私の手伝いをしてくれていた。

そんなネイサンがその日、たまたま、レストランを見に行きたいと言い出した。

もちろんいいよ。行こうって言って朝待ち合わせをし、
私達はそこに向かった。

ぐるっと一周、ゲストハウスとレストランを案内し、
ゲストハウスのベランダから大きな湖を見降ろしながら色んな事を
彼としゃべった。

どんな場所にしたい?なんでやってるの?
ここはこうしようよ、あれも必要だねって。
僕にできることならなんでもやるからって。
そんなことを一時間ほど喋っていた。

その横では二人の大工さんが、私たちが来たのをみて、
焦って工事を再開したところだった。
今日はどうやら床を磨くらしい。
やっと仕事を始めた彼らを見て、ちょっと安心して
じゃぁお腹も空いたしランチに行こう、
と私はネイサンを誘った。

とても楽しいランチだった。近くのレストランで色んな話をして
こんな人と働けるなんて恵まれてるなぁなんて考えていた。

ちょうどその時、電話がなった。
パートナーのdeoからだった。deoが電話先で何やら怒鳴っている。

ゆりこ、アクシデントだ!レストランが燃えてるらしい。
今すぐそっちに行ってくれないか。僕もすぐ行くから。

その言葉に私は凍りついた。
そんな馬鹿な。さっきまで、たった20分前まで、
だってそこにあったじゃないかって。
とっさに、そんなことが起こるはずがないって言い返した。

さっききたばっかりの昼食なんてそっちのけで
私は急いでゲストハウスに向かった。
いつもよりなにやら人が多い。
みんな一点を見つめている。
なんだか、すごく、すごくやな予感がした。

レストランに続く坂を一気に駆け登る
そこに、さっきまであったはずのレストランは、
もう、そこにはなかった。あったのは立ち上る煙だけ。

恐る恐るレストランに近付いて、人に話かける。
誰も怪我はないの?

ないって、女の子が首をふる。

何があったの?

電線の配線が悪くて、と近くにいたおじさんが説明する。

そうか、と言った瞬間、涙が溢れ出てきてしまった。


地面に座り込んで、大声で泣いている私の姿を、
たくさんのルワンダ人が見つめている。
15歳くらいの女の子がよってきて、大丈夫、大丈夫って言いながら
私をそっと抱きしめてくれた。

おもむろに電話をとりだして、電話する。
泣きじゃくってしまって、何も言えない。
レストランが、レストランがって、ずっと言っていたような気がする。

そっから何をどうして、家に帰ったのか、私はよくわからない。
でも気付いたら家のソファーに座っていて、色んな事を考えていた。

今まで頑張ってきたものが、目の前で燃えていた。
一瞬にして、すべて消えてしまったような気がした。
また立ち上がれるのか不安だった。
神様は一体どうしてこんなことするんだって、
何に八つ当たりしていいのかわからない気持ちを抱えて、
ただただ泣くことしかできなかった。




















Thursday, September 20, 2012

My Dearest Oven

久しぶりにRwiza にいったら、
ちょうど一年前、なにをどうしていいのかわからなかった私が、
手始めに作ったオーブンが、もののみごとになくなっていた。
キッチンが拡大されていて、そこはトイレになっていた。

自慢げに話すパートナーをみて、
私は正直なにも話せなかった。

確かに、使ったレンガはボロくてさ、
なんか頼りない感じだったんだよ。

確かにさ、ほんと、役に立つのかわかんなかったし、
でもね、みんなで一生懸命作ったものだったのに。

ベノワがさ、仕事の合間をぬって駆けつけてくれて、
かおるくんがさ、日本から来て手伝ってくれて、
片っ端から本をみて、
ああでもない、こうでもないっていいながら設計して、
カズングがさ、毎日セメントを作るのを手伝ってくれて、
近所のおじちゃん、おばちゃんが、だんだん、
手伝ってくれるようになって。

そうやってできた、オーブンなんだよ。

反省点がないわけじゃない。
改善できることもあった。
結局壊される運命にあったのかもしれない。

いろんなことは考えられる。だけど、

マジふざけんなよ。

これが私が最初に思ったこと。

せめて一言いえよ。

せめて、事後報告でもなんでもいいからしろよ。

そうじゃないと、今作ってるフライヤーも、
HPも、メニューも、全部そうなっちゃうのかなって思って、
素直に頑張れない。

絶対投げ出さないし、逃げ出したりもしないから、
反省もするし、繰り返さないように頑張るから、
せめて、ここでは一言いわせて。


まじでやめたい。


Sunday, September 16, 2012

サラダなのか、肉なのか。

今日という日がこんなに早く終わるのだから、
あと10ヶ月なんて、あっという間なんだろうと思う。

そうやって、終わりを意識してみると、
10ヶ月だろうが、1年だろうが、10年だろうが、
ただ単に、一日一日の繰り返しだってことに気がつく。

よく、留学とか、
自分の人生を変えたくていく、とかいうのを聞くけれど、
行ったところで、そこにあるものは、
眈々とすぎて行く毎日なわけで、
アフリカにいたってそれはそうで、
日本にいる時と変わらず、毎日がすぎて行くだけのことだ。

確かに、いる場所によって出会う人も変わるから、
それで、何かしらの影響をうける、なんてこともあるけれど、

でも、みんなの思っている人生をぱっとかえてしまうようなことなんて、
そうは起こらない。

振り返ってみた時に、はじめてそれがわかる、そういうことはあるけれど。

つまりなにがいいたかったのかっていうと、
大事な決断っていうものや、ここぞという頑張りどころ、
なんてものは、人生のうち、そんな大きな割合を占めているわけではない、ということ。

というより、人生は、眈々とすぎて行く毎日のほうが圧倒的に多いわけで、
それをどうやって自分らしく一生懸命取り組むのか、
毎日の小さな決断とどう向き合って過ごして行くのか、
そういうことのほうがずっとずっと、大切なんじゃないかと思う。

そしてその繰り返しが、大きな決断に出会った時の自分を、
形作るんじゃないのか、と。

もしかしたら、そのするべき決断やチャンスさえも、
毎日によって変わるんだろう、と。


目下、わたしのするべき決断は、お昼ごはんをどうするか、
なのだけれども、ふとそんなことを考えた。

ここは、10ヶ月後のわたしの体系を考えて、サラダにすべきか、
それとも、欲望にまかせて、お肉をたべるのか。

悩ましい。






Friday, September 14, 2012

オフラインライフ

この前、私のPCにおもいっきりジュースがかかったw
ということで、あんまり、ネットが使えない環境になってしまいました。

残り10ヶ月iPadで頑張ろうと思っているのだけど、
ちょっとした作業に支障を感じている今日この頃。

でもお陰様で、だいぶ戦略的に動けるようになりました。
パソコンを借りれる時に、
やれることをやらないといけないから、
あの時にこれをやって、ここではこれをやって、、、、
っていうのが、わかりやすくなって、
実はちょっとだけ、本当にちょっとだけですが
助かっている部分もあります。

神様ありがとう。
と無理やり感謝する毎日 笑。
泣きそうですがw本当は。

最近、ゲストハウスのことが、頭からほんとはなれなくて、
夢のなかにもでてきました。

なんでかって、たぶん、もうすぐ25歳だから。
もう、24歳のうちにオープンしちゃいたい!!

でも、私だけ焦っても仕方がないんですよね。
どうやって、現地パートナーを巻き込んで一緒にやっていくか。

難しい。。。。ここが頑張りどころです。



Friday, September 7, 2012

「競争」を作る

最近思ってること。

JICAの青年海外協力隊で村役場配属のボランティアとして、この村にいることと、
村上由里子として、ひとつのビジネスをルワンダ人と一緒にやる

ということは相反しているのではないのか。ということ。


前者の場合、JICAは当然日本の援助機関で会って、
そこは「援助」をしている場所であって、
私はその「援助団体」の派遣するボランティアであるわけです。
だから、私は村の誰にでも平等でなければならないし
そういうことが求められているような気がする。

村役場でこんなことを聞かれたりもする。
「どうしてゆりこは、ひとつのビジネスばかりを支援するの?
 この村にはあなたの手を必要としてる人はたくさんいるのに。」
そんなことを言われると心が痛い。


後者の場合、私はそこがどうやったら儲かるのか、を真剣に考えなきゃならない。
だから、時には周辺のホテルやレストランにはできないことを
探して実行しなくちゃならないし、
この村のすべてのビジネスに平等に手を貸す、なんてことはできない。


だけど、私は、この村に一番必要なものは「競争」だと思ってる。

つまり、

「よりお客さんに喜んでもらうために、切磋琢磨すること」
だと信じている。

どうやったら儲かるんだ?って、
どうやったらあの店よりお客さんを集められるか
って個人レベルで考えられるようになることが、
結果的に援助から自立するってことだと思っているから

「競争」をこの村に仕掛れれば、いいんじゃないか?って、
そんな風に、思ってる。


ごまかすことはいくらでもできるけど、
究極、自分の立場と自分のポリシーみたいなものと、
どっちを優先させるべきなんだろう?







Monday, September 3, 2012

ルワンダに帰って来ました。

空港を降りて、ルワンダの涼しい風を浴びて、なんかほこりっぽい匂いを嗅いで、
ああ、帰ってきたんだなぁと思いました。

意外にも日本にいた時には、あんなに遠く感じていたこの国に
なれるのはいとも簡単で、
忘れていたらどうしよう・・・と思っていたルワンダ語も、
意外と簡単に思い出すことができて、
今は自分が3ヶ月も日本にいたことが嘘のよう。

ただ、以前と確実に違う何かを、感じているというのも事実で、
それは多分、自分が日本にいたからこそ、感じることなのではないのかと思い、
ここにかきとめておこうと思います。


①自分の今いる環境は異常

ルワンダでゲストハウスを作る。
2年間もアフリカで暮らす。
よくわからない言語をしゃべる笑。

身近になりすぎていて忘れていたけど、日本に帰ってみたら、
これってすごく異常なことでした。
頭のいい人も、経歴のすごい人も、かっこいい人も、かわいい人も、
たくさんあったけど、
私と同じ経験をしている人は、誰一人いなかった。

確かに同級生との会話で、会社の話とか、全然ついていけなかったけど、
でも、私にしか見えない世界がここにあることを、
私にしか感じられない悩みがここにあることを、
私にしか出会えない人がいることを、
しっかり思い出させてもらいました。

だからこそ残り10ヶ月、ここでしかできないこと、
つまり、今ここだからこそできること、をしっかり見極めて楽しんで、
思いっきりやりたい。

それはバスでとなりのおっちゃんと会話することかもしれないし、
Rwizaの準備をすることかもしれない。
ルワンダ人と同じ言葉を喋り、もっと理解を深めることかもしれないし、
近所の女の子とかけっこすることかもしれない。

そう思ったら、すごくすごく今の環境に感謝できるようになったし、
これからも忘れずにいたいと思ってる。


②変えられるのは自分のみ

周りの環境に感謝できるようになって、気づいたこと。
それは変えられるのは周囲ではなく、他人でもなく自分のみだってこと。

今までうまくいかなかったことを
私は、「私が経験がないから」とか、「ルワンダだから」とか
環境のせいにしてきたことが多かった。
けど、たぶんそうじゃない。

変えなきゃいけないのは、周りじゃなくて自分だった。
そして、私が変えられるものも、他人でも環境でもなく、
自分だけだったってこと。

自分が知ろうとすれば、教えてくれる。
自分が伝えようとすれば、絶対つたわる。
自分が笑えば、相手も笑う。

そういうこと。

周りが変わる前にいい意味で自分が変わることで、
人にもそれが伝わって、何かが変わっていったらいいな、と今、思っている。



今私はルワンダで、
シャワーあがりの気持ちいい夜空を見上げながら、
このブログを書いている。

庭ではなぜか、ヤギがないていて、
さっき、警備員のおっちゃんが、「ゆりこ」って初めて私の名前を呼んだ。
帰ってきたんだねって、泣きそうになりながら。
ただいまって抱きついた。
今までどこにいってたんだ?って、村を歩けばいろんな人が私に声をかけてくれる。
「どこいってたんだよ」って。

この人達のことを、私はもっと、もっともっと知りたい。


Wednesday, August 22, 2012

日本を振り返って思うことと、これからの私。

淡々と日々は過ぎ、気づけば帰国間近(ルワンダに)。
日本に思いもかけず、長く滞在することになった私の3ヶ月。

この3ヶ月、ただ日本にいて治療をしていたようで、色んなことがあった。

最初はルワンダにいなくていいのか、と焦り、
そして日本に慣れてきて、今度は、空いてる時間をどう使おうか悩み、
友だちとの再会も無事終えてきた当たりから、
だんだんリズムを掴み出し、
色んな昔の友人や、新しい人に出会って、
結果的には、
将来の自分、それに向けた今後のルワンダでの過ごし方なんかを、
ゆっくり見つめるいい機会になったんじゃないかと思う。

その中で、一つ、いまさらなんだけど、やっとわかったことがあって。

何回も何回も、「どうして、ルワンダでゲストハウスなの?」
と人から聞いて頂いた。

最初は、なんだか色んな理由が思いついてしまって、
対JICA用で説明してる理由とか、
対村人用で説明してる理由とか、
なんか色々あって、

でも、なんで本当に自分はゲストハウスの支援なんてことを選んだんだろうって、
ずっとわからずにいた。

大まかに言うと、
昔から途上国には興味はあったし、
ビジネスっていうのも興味があった。
きっと村のために良い感じの、役割を果たせるような場所を作れる気もする。

どれも私が、ゲストハウスをやってる理由だ。
だから、なんで?って聞かれると、
なんとなく、たまたまそこに、やりたいことがあったんですよねぇ。
とか、曖昧な返事をしてしまってる自分がいた。

だけど、今回、ある人に、
「じゃぁ頭にぱっと今浮かんだことを教えて」

って言われて、あっ!て思ったことがあって。

私がとっさに頭に思いついたことって、
上に挙げたどの理由でもなくて、こんなことだった。

「好きになってもらえたらいいなぁと思って。」

そう。これ。

ルワンダにきた人が、うちのゲストハウスにとまって、
食事して、「うわぁ、ルワンダっていいとこじゃん」
って思ってくれたらいいなぁって。

そんなことを口に出してみて、気づいたんだ。

これって、DEOが私に語った夢じゃんって。


私が、他のどの労働組合でもなく、あのゲストハウスにこだわる理由。

それって、これだって。

DEOが夢を語る姿をみていたら、

一緒にそれを追いかけて見たくなった。

DEOの夢が叶うために、自分が何か力になれればいいなぁと思った。

そしたらいつの間にか、DEOの夢が私の夢になってたんだなぁって。

それだけだったなぁって。




どんなかたちであれ、誰かの夢が叶うように、

自分の力を使えたら、ステキだなぁって、私は思ってる。

それが途上国でも、先進国でも、ルワンダでも、日本でも、他の国でも。

そうなれるように、これから
自分の力をもっと磨いていかないといけないなぁって、

そんな風に思ったのでした。


さてそんな日本滞在もあと、一週間。

たくさんの方々にご迷惑をお掛けしました。

今は感謝の気持ちでいっぱいです。

無事歯も治りました。

ありがとうございました。





Sunday, August 12, 2012

英語がすきになったわけ。

私は昔から、シャイな子供だった。今になって、自分に自信があるとか、そんなふうに見られることが多くなったけど、実はそんなこと、全然、ない。
徒競走では必ずびりをとり、成績はいいわけでも悪いわけでもない。
身長も小さくて、なんだかそんな自分に引け目ばかり感じていた。

こんな自分、ぬけだしたい。

それが私と英語との出会いだった。当時の私はなにか一つでも自信を持てるものを作れば、そんな自分からぬけだせるんじゃないかって、本気でそう思った。
だから中学校三年生のあの日、確か社会の授業中に私は六角鉛筆に科目の名前を書いて思いっきり転がしたんだ。国語、数学、英語、社会、理科、そしてなぜか音楽。

鉛筆は勢い良く転がって、私の机の下に落ちた。そこにははっきり「英語」の文字。その瞬間、私の運命は決まったんだと思う。意味不明だけどその日から、私の得意教科は英語になった。いや、そうすると決めたのだった。
決めたからには、やらなくては。そう思った私は極端に英語を勉強し始めた。
学校に行って、数学だろうと、国語だろうと、社会だろうとなんだろうと、英語の教科書をとりあえず広げる。読む。書く。それ以外は寝る。そんな毎日の始まりだった。

当たり前だが、そんなに極端に勉強をしているんだから、英語の成績が上がらないはずがない。半年後には私の英語の点数は50点も伸びて、94点になっていた。

当時の私の英語の先生は、佐藤真美子先生、という先生で、
今思い出しても決して優しい先生ではなかった、と思う。

私「宿題忘れました」

先生「なんで?」

私「寮の机の上に置いてきてしまいました」

先生「なんで?」

私「その・・不注意で」

先生「なんで?」

私「そういう性格で・・。」

先生「なんで?(怒)」

こんな会話しょっちゅうだった。

でも、素敵な先生だった。
要点をきちんと抑えた無駄のない授業。
ちょっと怖いかも・・・と思っていたら、急に笑い出す。
その笑顔が本当になんか、嘘がなくて、
クラスの雰囲気をぱっと明るくする。そんな先生だった。

生徒に「厳しい」ということも、
私は先生からかけてもらってる期待だと思ってた。

たぶん、「努力」することの楽しさや意味を、英語を通して教えてくれてた人だと思う。
彼女にただ褒めてもらいてくて、頑張っていた感はほんと、否めない。

そんな先生に今日たぶん2年ぶりくらいにお会いした。

相変わらずの素敵な笑顔で、
相変わらずの歯に衣着せぬ感じで、
相変わらず、私の背中を押してれた。



たぶん先生は知らないと思うけど、
英語をしゃべる機会がある度、私は心の中で感謝する。


ありがとう。あなたがいたから、今私はこの人と話せるって。


ありがとう。あなたがいたから、私はいつも前に進める。




Thursday, August 9, 2012

いいとこ化学反応。

憧れてる人っていますか?

まぁこんなこと聞くくらいだから、私にはもちろんいて。


素敵だなぁと思ってる人がいる。

昔はもう、ただ単純に、すごい、と思って、

こんな人になれたらって思っていたけど。



だけど、ほんとは「その人みたいになりたい」っていうのは

ちょっと違うんだろうな、と最近思う。



そのあこがれの人の持ってるいいところと

私のいいところが、

いい感じに、化学反応を起こして、

なんかいい感じのものを作り出せるような、

そんな風になりたいなぁと思っている。



だから、私の「いいとこ」が、

その人の「いいとこ」と上手に反応できるように、

私のそれを、まだ粗削りのそれを、

私は磨いていけたらいいな、と思ってる。




Tuesday, August 7, 2012

Rwiza Lodge のイイネが106になりました。

この前ルワンダのパートナーDEOと電話でミーティングしました。

そこで、私達 Rwiza Lodge のFacebook pageの話題が出たんだけど、

今106like頂いてるんですね。

likeの数が増える度、こっちでにやにやしてるんだ!って

嬉しそうにいってました。

イイネ!を押してくださってる皆様、

ありがとう。

はやく、はやくルワンダに帰って期待に答えなきゃなとおもいます。

もし、もし、もし、万が一まだイイネしてない!って方がいて、

イイネ!って思ってくださったら、

ぜひイイネしてやってください。

https://www.facebook.com/rwiza.lodge

その1クリックが、私とデオの背中をぐぐっと押してくれてます。

ありがとう。 


NEAR or FAR

こんな雰囲気の曲、すきだな。


Saturday, August 4, 2012


君がおもってるほど、きっと君は強くしないし、

私が思ってるほど、きっと君は強くない。

いいじゃん。

素敵だよ。そういう姿も。

今日もお疲れ様。






Monday, July 30, 2012

水のこころ。

最近、人と久しぶりに喧嘩しまして。

もう、私はすごく怒っていたわけです。(こればっかりはお互い様ですねw)

なんというか、頭の中で、

ピカッ、ゴロゴロ、ドッカーンというおとが聞こえて、

目を閉じれば雷が落ちているのを容易に浮かべられる様な、

そんな気持ちになったわけです。



で、もう始めはほんとにほんとに、腹がたって、

しばらくしたら、悲しくなって、

涙が止まらなくなったんですが、

ぼーっとすること1時間。

聖心にいたころ、歌っていた、こんな歌を思い出しました。


それは「水のこころ」って歌。



「水はつかめません

水は包むのです

指をぴったりつけて、

そっと大切に。

水の心も。人の心も。

水の心も。人の心も。」




いらいらしている時って、

自分の話ばっかりして、自分はこうだ、ああだ、とか

私のことなんでわかんないのーって、そういう主張ばっかになっちゃう。



だけど、なるほど。



私はそうやって、相手の心をつかみにかかっていたわけですね。


つかむんじゃない。心は包むんでした。

指をぴったりつけて、そっと大切に。


私はそういう、「やさしい」人に、なりたいです。






















Friday, July 20, 2012

スコット・ハウエル先生。

その人はよく、カタコトの日本語で、私達を紹介してくれました。

その人はなぜだか、私達びいきで、普通の人は使えない場所を使わせてくれたりして。

ほんとに君たちは頑張ってるんだと言って、背中を押してくれました。

その人のお腹は、不自然なくらい出っ張っていて、

それをネタに、私たちは笑い転げていたけれど、


その人がもしも、いなかったら、

きっと私はあの場所に、出会っていなかっただろうし、

私があの場所に出会っていなかったら、

最高の笑顔も、理不尽だと思えるような修羅場も、

引き継がれてきた伝統にも、最高に言われて嬉しかった「ありがとう」にも

巡りあうことなく生きていたのでしょう。


ハウエル先生、あなたが亡くなったと、

聞いて初めて気付くのです。


あなたが私にくれたもの。

あなたの作りあげたもの。


今更ですが、

本当に今更なんですが、

ありがとうございました。


きっときっと、ずっとずっと、持っていようと思います。



あなたが私にくれたもの。

あなたの作りあげたもの。


ご冥福をお祈り申し上げます。





Tuesday, July 17, 2012

忘れないうちに。

最近の私。
日本に帰ってきて色んなことがありました。

まず、歯の治療。
5件くらい歯医者さんを訪ね、やっと治療してもらえることになって。
時間はかかっちゃったけど、ちょっとずつ治しています。
JICAを含め、ご迷惑をかけている皆さん、本当にごめんなさい。
そして本当にありがとう。

私生活では、最近ようやく頑張る気が湧いてきたかな。
日本に帰って一ヶ月くらいは、
なんだかもう、本当にやる気がしなくて、
ちょっと休ませてー><って気分になって
そんな自分が嫌で。

自信もなかった。
今まで一年やってきたものって、
なんなのかなぁ・・・とか

だけど、日本に来て、いろんな人と話をしているうちに
ちょっと、ちょっとだけど、
一年の自分の失敗も、頑張りも、
見つめられるようになってきて。


そして、今、思うこと。

「まだまだ、だ。」

ってことかな。


足りないことばかりで、できないことばかりで、
誰かを傷つけないと前に進めない人間で、
何も守れてもいないし、何かを得てる気もしない。

ルワンダに行って、そんなのもっと思い知ったし、
日本で人の頑張りや、幸せそうな表情をみて、ちょっと複雑な気持ちになったりして、
「私、カスだ」って、何回言ったんだろう。

器用に人に頼れないし、
愛嬌もないし、
1人になれば泣いてばっかりで、
欠点ばっかりみえる。

なりたい自分になんて程遠くてめまいがする。

何から始めたらいいかなんてわかんない。


でも、変わりたい。私。


そう、思ったの。


まだまだまだまだまだまだまだまだ・・・ だけど、


だって、私ね、DEOと私のレストランに、私が誰よりもわくわくしてることに気づいたの。

気がついたら、自分にとってすごく大切なものになってることにも気付いたの。


だから、もっと「がむしゃら」になる。

もっとたくさん失敗もする。

たぶん、そのたびに悔しくて、また嫌な気持ちになるけれど、

失敗の分、たくさん前にも進んでみせるし、

絶対絶対何かを掴んで立ち上がってみせる。


逃げちゃう日だってあると思うけど、

だけど、うん。

そういう生き方がしたい、ということは少なくともわかった。



泣いてる分、その何倍もおっきな声で、笑ってやるんだ。いつの日にか。


最後に、きっとこのブログを読んでくれているあの人に。

心からのありがとう。を。





Sunday, May 27, 2012

少し止まっているの。

気がついたら、私がルワンダに来てから11ヶ月が過ぎている。

まさか11ヶ月目の日記が日本から更新される・・・
なんてことは11ヶ月前には思ってもいなかった。

そう。私は今日本。

詳しく話せば長くなるけど、
「歯の治療」で日本に帰って来た。

歯を抜いたり移動させたり、なんか結構大掛かりな、
そして時間のかかることになってしまって、
2ヶ月くらいの滞在になりそう。

そろそろルワンダ帰りたいなぁ・・・なんて思ったり。

こっちに来て、大切な人たちのそばにいることができるのは、
気持ちも楽だし、楽しいし、あったかい。

だけど、
このまんまじゃ、だめだよなぁって、
思う。

頑張ってる大切な人をみると、
頑張りたいなぁと、思う。

まけてらんないなぁって。
追いていかないでよって。

頑張ってないと、自分の大切なものが崩壊しちゃいそうで、

ちょっと怖い。


だけど、「少し止まる」とかいて、「歩く」。

たぶん、それでも、なにかは前に進んでる。

一歩一歩ふみしめながら、今日も前に進む。




Sunday, May 20, 2012

レンズのさきっちょ。

写真を、最近写真をとりたいなって思う。

前から好きだけど、

最近特に、写真を撮りたくて。


だけどなかなかうまくいかない。


もう、いろいろわかんなくなってきてる。

自分にとってかわいいってなんだろう、とか、

かっこいいってなんだろう、とか。


そんなの頭で考えることじゃないけど、

でも、改めて見直すと、

ちょっとだけ、わかったり。


あ~私こういうのが好きなんだ!って。


結局誰の真似したって、自分からは絶対離れられないことも。




覗き込む。

レンズの先に学ぶことは多い。な。



Monday, May 14, 2012

ないものねだり。

自分の持ってないものをたくさん持ってる彼女は、

なんて素敵なんだろうと思った。

自分の持ってるものですら、きっと持ってて、

私になんか、到底かなわないよって思って、

なんだか急に泣きたくなった。

というか泣いていた。


すっごい悔しくて、

すっごいふがいなくて、


だから無理やり、頭の中のその子に言ってみた。


「ありがとう」って。


「頑張る」って。




汚い気持ちでいっぱいの

私の心の中だけど、


だけど、決めたの。



やっぱり、もうちょっと頑張る。

やっぱり、もうちょっと前に進む。




Thursday, April 5, 2012

”たぶん” の話。

ゆずっちゃいけないことがある。たぶん。


これだけはずらせないってことがある。たぶん。



理由なんてきかれたって、よくわかんないし、

それは何?ってきかれたって、”たぶん”って答えちゃうんだ。



それは、ファッションかもしれないし、

好きなひとかもしれないし、

体をどこから洗うか、かもしれないし、

朝起きて何をするかってことなのかもしれないし、

大事な夢なのかもしれない。たぶん。



だけど、そういう ”たぶん” を集めて、人は ”生き様” っていうんだろうと、

思うのですよ。




私にも譲れないものがある。



弱気だし、自信なんてないけど、


それでいい。


いいのですよ。


”たぶん” を拾い集めていけば。




むーこ







Tuesday, March 27, 2012

たいせつなこと。


一昨年の夏、友だち5人と富士山に登ったことを思い出した。
静岡県に生まれたくせに、私は富士山に登ったことが一度もなくて。
ちなみに私は、山登りとかマラソンとか、そういった類の忍耐の必要とされるものは
大嫌いだったのだけれども、とりあえずまぁ、友だちの中で富士登山たるものがはやっていたので、私もその勢いに任せてついていったというわけ。
その時初めてしったんだけどさ、富士山てのは夜から登りはじめるんだね。
いろんな団体の人がいたんだけどもさ、
うちらも含めて、みんな早朝にやってくる「ご来光」ってのを
頂上でみるのを楽しみにしながら、夜の山を7時間くらいかけて登っていくの。
最初は5人で登っていたんだけども、
だんだん、それぞれのペースが生まれてきてさ。
ご来光にちゃんと間に合うようにいい感じのペースで登ってく人。
それを追っかけて早足になる人。
もう疲れちゃって、ゆっくりのぼる人。
そんな人を心配して、本当は早く登れるのにペースをあわせてくれる人。
ま、私はもちろん、疲れはてていて、一番後を登っていたんだよね。
言うまでもないよね。
大親友のりゅういちがさ、そんな私を見かねて一緒にゆっくりのぼってくれたんだよ。
あまりにも遅くてさ、どんどん、どんどん抜かれていくの。
なんせ私、3歩に一回休むからね。
途中で一杯600円の高級カップヌードルたべちゃうからね。
あと、星が、きれいでさ。
空を見上げてはため息をついて、
きれいだねぇって話して、ついでにりゅーいちに将来の夢なんか語っちゃったりして。
そんなことをしていたら、案の定、日の出には間に合わなくて、
山登ってる途中から、ご来光を眺めることになったわけ。
でもなぜかさ、もうその時には「頂上でご来光を見る」なんてことはすっかりどうでもよくなってたんだよ。
星が綺麗でさ。
結局わたしたちは、頂上にものぼることなく、9合目で折り返したし、
ご来光もみんなとおんなじようにはみれなかったの。
だけどさ、すっげー、もうすっげー楽しかったわけよ。
ご来光も頂上もどうでもよくなっちゃうくらい、
親友と富士山に寝っ転がって星空をみていたことがさ。
「楽しいね」っていいながら、頂上を目指すことすら諦めてしまったこともさ。
なんだか笑えてきちゃうの。

次の日、全身筋肉痛になったけどさ
今度日本に帰ったら、もういっかい、大親友と登りたいな。

Saturday, March 17, 2012

ここに来てから見える景色。


素直に「好き」とは言えなくなった。
前まではさ、「大好き」だって言えたのにさ。

この場所のことね。
思い通りにいかないことや、やなことがいっぱいあってね。
逃げ出したくてたまらないの。
だけどね、嫌だ、嫌だと思いながら、過ごす日々の中で、
いいことってのが、すっごい素敵に光ってることにも気がついちゃった。
やなこともさ、いいこともさ。いっぱいあってさ。
気づいたの。
毎日楽しくて、毎日笑って、幸せで。
そんな毎日は不自然。
やなこともさ、いいこともさ、いっぱいあってさ。
気づいたの。
泣いて、笑って、悔しがって、転んで、立ち上がって、逃げだして。
そんな毎日が自然。
素直に「好き」とは言えなくなった。
だけど、この場所が、私にとって「自然」になった。
それだけのこと。
見えてる景色が前とは全然違っても。

ちょっと見慣れちゃったんだとしても。

これでいいよ。
大丈夫だから、きっと大丈夫だからさ、
その手でしっかり抱きしめて。




Sunday, February 26, 2012

きらい、すき。

あの人と私を、比べてみた。


あの人は私がほしいものを、全部もってた。


美人で英語も喋れて、写真だって上手で、スタイルもよくて。


きっと犬にだってもてるんじゃない?



私は・・・  どうぜ私なんて・・・



そこまでいいかけて、なんだかとっても悲しくなった。



だって隣に、大好きな人の、素敵な笑顔があることに気付いたから。



自分を嫌いになる、そのエネルギーで、

少しずつ自分を愛してみよう。



「嫌い」をしゃべるその口で、自分の「すき」を話してみよう。

「嫌い」を見つけるその瞳で、自分の「すき」を探してみよう。



そうやって、そうやって。

自分を少しずつ愛してみよう。



こんな私を受け止めて、愛してくれる人がいるんだから。






Tuesday, February 7, 2012

気付けば帰国の日がやってきて。

今朝急いで起きて、事務所に行って、

大好きなコーペラに注文していたものを取りに行ってきた。


あーかえるんだなぁ。


なんて思ったら、


アマクル?(最近どーう?)

ニメーザ(良い感じだぜ!)


っていう言い慣れた挨拶もちょっと

愛おしく思えたりして。


でも今は帰ることが楽しみで、楽しみで

あいたい人がいっぱいいて、

話したいことも、聞きたいこともいっぱいある。


たぶんあいたい人全員に会うことはできないけれど、

それでも、

あなたに、あいたいです。









場所:かえる。

Tuesday, January 31, 2012

限りがあるから。

私はルワンダに帰ってこれるだろうか、
なんてふと思う。





一時帰国。一時帰国。一時帰国。

どんどんせまってくる、待ちに待ったその時を目の前に、私は若干びびっている。


こわくなって、昔のブログを読みかえす。

まだここに来たばかりのあの頃。


なにもかも新鮮で、バスにのるのですら、わくわくしていた。

今、私は日本に帰ってバスに乗ることにわくわくしている。


この気持ち。


でももし、日本が日常だったら、

バスに乗りたい!なんてきっと思わない。


渋谷の人ごみの中を歩きたいとか、

皆がケータイいじってる電車のなかにずーっと座っていたいとかw

満員電車につぶされていたいとかw

そんなことも絶対考えない。



多分人は「終わり」とか「限り」を意識した時に、初めて、

それをいとおしく思えたりするんじゃないだろうか。

それが「あたりまえ」になっちゃうと、


すごーい、とか

楽しい!!とか、

苦しい!!とか

悲しい、とか


そいういうのを忘れてしまう。


時間はだれにでも有限だってことも。

そこに「いる」ってことがどれだけ素敵なことなのかも。



Monday, January 30, 2012

やるかしか、ないんだよ、結局。

来週日本に帰ります。

一時帰国です。

それで、せっかく日本に帰るんだから、この半年を正直に振り返ってみようかなぁ、なんて思いました。


ルワンダにきて半年。

私の頭の中を支配していた思いがあります。


「はやくにほんにかえりたい。」


えーwって感じですが、これ、ほんとのことなので、やっぱり正直に書きます。


ほんとに、ほんとに日本に帰りたかった。

任期短縮しちゃおうか、とか思うくらい、帰りたかったです。


どんな時に日本にかえりたかったか、あげればきりがありませんが、

特に、


「日本にいる大切な人が辛い時」

「こっちにいる意味が見出せなくなった時」

「がんばりたいのになんか頑張れないとき」


の3つにまとめられるかと思います。


と、ここまで振り返って、ふと気が付いたんです。

「制約」ということについて。


協力隊として途上国で暮らすというのは、もう「制約」ばっかなんです。


水がでない、から始まり、

行きたいところに行けない、とか

日本に1回しか帰れない、だとか、

ものがない、とか

電気がないとか、

技術がないとか

お金がない、とか。


そんなん、言い出したらきりないんです。


で、私は気が付けば、それにばっかり目が言って、おかしなことになってたんだなぁ・・・って。


日本だったらそんなん簡単なのに・・・って思って帰りたかったんだなぁって。



ん?ここまできて、私の思考に、なんかすごい違和感を感じたんです。


なにか大切なものを間違えてるぞ。私は。と。




そもそも私は、


「制約の中にこそ、やりたいことがあった」


んじゃなかったのか?



ということです。




上にあげた「制約」たちがなかったら、


私はここにきたんだろうか?

私はここに来たかったんだろうか?


と胸にきいてみたんです。



答えはNOでした。



「制約の中でやりたい」ことが、しっかり胸の中で生きていて、


ああ、なんて私はバカだったんだろうと気が付きました。



そう思えた今、「なんだまだ、いっぱいあるじゃん」 と気が付いたんです。

やれることも、やりたいことも。


そしてそれが私がここにいる意味なんじゃないのか?と。



そんなことにやっと気が付いたのか!と怒られそうですが、

もう一度、原点に戻って宣言したいと思います。


「やりたいことをやります」


これ。


その「やりたいこと」ってなんだ?って聞かれると、

いまいちよくわかんなくなりつつありますが、

わかんないからこそ


「わたし、やっぱりその時にやりたいことをやります」


と言いたいんです。



制約に、いいわけせずに、「ほんとに」やろうと思うんです。

だって、あれがーこれがーって理由つけずにね。



大好きな友達が、こんなことよく言ってます。

彼はその言葉を言い続けて、バングラで教育ビジネスたちあげちゃいました。


いまや有名人です笑。


「できるか、できないか、じゃないんだ。

やるか、やらないか、それでもない。

やるか、やるか、やるか。それだけだ。」


と。 


大好きな友達その2@エルサルバドルは前に、私にこんなこと言ってました。

「○○したいなーって言ってる人見ると、つい言いたくなっちゃうんだよね。

じゃぁ、やれよ!って。」


と。




それにつきると思います。


私は、やっぱり馬鹿だから、

時に見失ってしまうんです。

いいわけつけて逃げ出してしまう。

たぶん、これからもそうかもしれない。

だけど、やっぱり、


「やろう」


そう思います。



日本ではもっかい、そういう気持ちを見つめ直せたら、いいなぁ。

みんなにあいたい。