私は昔から、シャイな子供だった。今になって、自分に自信があるとか、そんなふうに見られることが多くなったけど、実はそんなこと、全然、ない。
徒競走では必ずびりをとり、成績はいいわけでも悪いわけでもない。
身長も小さくて、なんだかそんな自分に引け目ばかり感じていた。
こんな自分、ぬけだしたい。
それが私と英語との出会いだった。当時の私はなにか一つでも自信を持てるものを作れば、そんな自分からぬけだせるんじゃないかって、本気でそう思った。
だから中学校三年生のあの日、確か社会の授業中に私は六角鉛筆に科目の名前を書いて思いっきり転がしたんだ。国語、数学、英語、社会、理科、そしてなぜか音楽。
鉛筆は勢い良く転がって、私の机の下に落ちた。そこにははっきり「英語」の文字。その瞬間、私の運命は決まったんだと思う。意味不明だけどその日から、私の得意教科は英語になった。いや、そうすると決めたのだった。
決めたからには、やらなくては。そう思った私は極端に英語を勉強し始めた。
学校に行って、数学だろうと、国語だろうと、社会だろうとなんだろうと、英語の教科書をとりあえず広げる。読む。書く。それ以外は寝る。そんな毎日の始まりだった。
当たり前だが、そんなに極端に勉強をしているんだから、英語の成績が上がらないはずがない。半年後には私の英語の点数は50点も伸びて、94点になっていた。
当時の私の英語の先生は、佐藤真美子先生、という先生で、
今思い出しても決して優しい先生ではなかった、と思う。
私「宿題忘れました」
先生「なんで?」
私「寮の机の上に置いてきてしまいました」
先生「なんで?」
私「その・・不注意で」
先生「なんで?」
私「そういう性格で・・。」
先生「なんで?(怒)」
こんな会話しょっちゅうだった。
でも、素敵な先生だった。
要点をきちんと抑えた無駄のない授業。
ちょっと怖いかも・・・と思っていたら、急に笑い出す。
その笑顔が本当になんか、嘘がなくて、
クラスの雰囲気をぱっと明るくする。そんな先生だった。
生徒に「厳しい」ということも、
私は先生からかけてもらってる期待だと思ってた。
たぶん、「努力」することの楽しさや意味を、英語を通して教えてくれてた人だと思う。
彼女にただ褒めてもらいてくて、頑張っていた感はほんと、否めない。
そんな先生に今日たぶん2年ぶりくらいにお会いした。
相変わらずの素敵な笑顔で、
相変わらずの歯に衣着せぬ感じで、
相変わらず、私の背中を押してれた。
たぶん先生は知らないと思うけど、
英語をしゃべる機会がある度、私は心の中で感謝する。
ありがとう。あなたがいたから、今私はこの人と話せるって。
ありがとう。あなたがいたから、私はいつも前に進める。
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